右肩を強く押され、緩は顔を歪める。
「お兄さんには関係ないでしょ」
「そんなの関係ねーよ。言えっ! 言わねぇと今度こそ本当に学校中にバラすぞ」
人の弱みを握って脅すか。
瑠駆真の辛辣な言葉が耳に響く。
結局はこんなやり方しかできない自分を悔しく思いながらも、だが聡は手の力を緩めようとはしない。
別に廿楽がどうなろうと、聡には関係ない。だが気になる。
あの廿楽が自殺? まさかっ! あり得ない。
聡は廿楽華恩と直接の面識はない。だが、どのような人間なのか、大体の想像はついている。
「言え」
左手で肩を、右手で胸倉を掴む。
「言わねぇと……」
「っ! そうやって力任せに脅す以外に方法はありませんの? 少し山脇先輩でも見習ってみては?」
「山脇?」
目を見開く聡。緩は素早く視線を外す。
「瑠駆真が何だって言うんだ?」
自分は美鶴の謹慎を解いてみせると、自慢げに聡を笑った瑠駆真。
「瑠駆真が、何をやったんだ?」
「く… るしい」
「言え」
「離して」
両手で聡の右手を掴む。本当に苦しげな緩の表情に、さすがの聡も少しだけ力を抜く。ようやく緩められた聡の右手を掴んだまま、緩は大きく胸を上下させる。
「瑠駆真が何なんだ?」
力を緩めはしたが、離すつもりはないらしい。相手の態度に、緩は視線を斜めに落して息を吸った。
「今日の放課後、山脇先輩が、副会長室にいらっしゃいました」
思い出すだけでもゾッとする。
「副会長室に?」
「お茶会への出席を、お断りするという内容です」
瑠駆真から告げられた時の、背筋も凍るような廿楽の視線。邪でも宿ってのではないかと思うような、まるで蛇のような瞳だった。
「瑠駆真もやるな。廿楽はさぞかしご立腹だっただろう」
いい気味だと言わんばかりの聡を軽く蔑視し、その発言を咎めるかのように緩は言葉を続ける。
「それだけではありません」
「それだけ? じゃない?」
眉を潜める聡へ向かって、緩はまるで脅えるように小さく頷いた。
「山脇先輩は、まるで廿楽先輩のお心を逆撫でするかのような発言ばかりを並べられて――――」
「なにより、君のような傲慢で高飛車な人間は嫌いだ」
「下心丸出しの色目はやめてくれ。気色悪い」
「あのような言葉を、あんな言葉を廿楽先輩へ向けるなど」
その先はもう恐ろしくて言葉も出ない緩。瑠駆真が副会長室を出て行った後の、場に残された廿楽の顔。緩はきっと生涯忘れない。たとえ睨まれているのが自分ではなくても、十分恐怖だ。
これからどうなるのだろう?
その場の誰にも、予測はできなかった。
廿楽の怒りを買ってひどい仕打ちを受けた生徒は何人かいるが、それでも、あれほどの言葉を廿楽に吐いた人間はいない。
廿楽華恩がどのような行動に出るのか、誰一人として想像できる者などいなかった。
「自宅に戻られた廿楽先輩が、まさか多量の睡眠薬で自殺を図るなど」
そこで緩は両手で口を覆った。
「終わりですわ。山脇先輩は終わりです。廿楽先輩を自殺に追いやったとなれば、先輩のご両親が黙ってはいません。必ずや学校へ抗議にいらっしゃいます。山脇先輩は唐渓から追い出されますわ」
緩は、別に瑠駆真に対しては情もない。だが、自殺や報復、退学といった現実をこれから目の当たりにするのかと思うと、さすがに恐怖を感じた。これから、唐渓の恐ろしさをまざまざと見せ付けられるのだ。
そんなショックに動揺する緩を掴んだまま、聡は瞠目していた。その、小さいが鋭く力強い瞳に、もはや義妹の姿は映っていない。
瑠駆真―――
気を抜くと、聡の身体も震えてしまいそうだ。
お前、いったい何をしようとしている?
「ラテフィルへ行こう」
その言葉の意味が、美鶴にはまったくわからなかった。
ラテフィル? 何それ?
記憶を巡らし、思い当たる。美しい黒人女性の口から聞いた、中東の小国だ。たしか、瑠駆真の父親の祖国だったはずだ。
そこへ行く? 自分が? なぜ?
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